「歌舞伎」の❝歌❞は音楽、❝舞❞は舞踊、❝伎❞は演技を意味し、独特な様式を持つ日本の代表的な古典演劇です。「かぶく(傾く)」という言葉は「風変わりな格好をして人目に立つ、とっぴな行動をする」という意味で、信長や秀吉の時代、「かぶく」者を「かぶき者」と呼んで大流行しました。家康が江戸幕府を開いた頃、京都では出雲の阿国という旅芸人が「かぶき踊りを始め、女歌舞伎、若衆歌舞伎を経て野郎歌舞伎になる頃に❝舞❞が注入され、さらに女方の発生により元禄期に劇的な❝振❞を加えた所作事(歌舞伎舞踊)が確立します。その後、専属の作者が現れて数々の優れた台本を書き上げ、多くの名作が生まれました。「歌舞伎舞踊」は、歌舞伎の中で演じられる舞踊及び舞踊劇のことで、日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられています。
本公演「歌舞伎舞踊『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段」
「歌舞伎を楽しく観る」
お話し 向平美希
実演!歌舞伎化粧「くまどり」
化粧講師 小桜佳之輔
休憩
「お七」舞台大道具のお話
お話し 森本加奈子
上演「伊達娘恋緋鹿子」火の見櫓の段 ※音源:テープ
出演 お 七 さつき緑万寿
お杉 阿万由希子
<出演者プロフィール>
さつき緑万寿 歌舞伎舞踊さつき流
幼少期より日本舞踊、常磐津、長唄、囃子と古典芸能に親しむ。9歳より松尾塾子供歌舞伎へ入塾、毎夏、大阪・東京と公演に出演。卒塾後、講師であった元市川少女歌舞伎 市川梅香に師事。平成16年、市川梅香が家元である歌舞伎舞踊さつき流 さつき緑万寿の名を許される。現在、一般社団法人 関西伝統芸能女流振興会 代表理事を務め関西を中心に活動中。
小桜佳之輔 舞踊家(元歌舞伎俳優)
3 歳の時、小桜文隆として初舞台。平成 11 年、松竹上方歌舞伎塾二期生として入塾し舞台に立つ。平成13年に卒塾、同年、大阪松竹座歌舞伎公演にて歌舞伎俳優として初舞台を踏む。同年、京都南座にて中村鴈治郎(現・坂田藤十郎)に入門し、中村鴈祥と名のる。平成 25 年、歌舞伎俳優として最後の舞台(大阪松竹座公演)に立ち、現在、日本舞踊小桜流 小桜佳之輔として、日本舞踊の指導や舞台活動だけでなく、歌舞伎の世界での経験を活かして全国各地の子供歌舞伎教室の指導やワークショップ等、さまざまな活動に携わり、活動中。大阪府東住吉高校 芸能文化科 非常勤講師、岐阜県垂井町曳山まつり 東町 子供歌舞伎演出・振付他を担当。
森本加奈子 大道具方
兵庫県立宝塚北高等学校演劇科時代、舞台の表方を学び、卒業後は兵庫県立ピッコロ技術学校にて裏方を学ぶ。その後、古典芸能の舞台に興味を持ち、関西舞台株式会社に入社。現在、関西舞台(株)に所属し、国立文楽劇場を中心に全国各地にて文楽、日本舞踊その他の古典芸能の大道具製作に携わり、活躍中。